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若新 雄純

プロデューサー/研究者

株式会社NewYouth 代表取締役
慶應義塾大学 大学院政策・メディア研究科 特任准教授
国立福井大学 産学官連携本部 客員准教授

専門はコミュニケーション論。人・組織・社会における創造的な活動を促すコミュニケーションのあり方や可能性について研究。
人材育成・組織開発、就職・キャリア、生涯学習、地域・コミュニティなどの変化や多様化、文化の成長・発展などについて模索し、さまざまな企業・団体・自治体において実験的な政策やプロジェクトを多数企画・実施中。
慶應義塾大学大学院修了、修士(政策・メディア)。

NEET株式会社 代表取締役会長
鯖江市役所JK課 プロデューサー
≫ 鯖江市体験移住事業ゆるい移住」コーディネーター
就活アウトロー採用ナルシスト採用 プロデューサー
≫ 週休4日で月収15万円「ゆるい就職」 プロデューサー
≫ 志望企業を占いとくじ引きで決める「ベツルート」 元編集長
慶應義塾大学SFC研究所「ゆるいコミュニケーション・ラボ」 プロデューサー
など。
その他、過去の活動実績はこちら



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主文.png2012年に戸籍の名を「雄純」に変更
数年前から通称として用いてた「雄純」が、2012年より戸籍上の正式な名になりました。旧名は検索すればすぐに分かるので黒線してるのは馬鹿みたいですが(笑)、「じぶん」をよりメタな存在というか、絶えず流転・変化するひとつの客体として気楽に捉えて付き合っていきたいという、これまた大げさな想いから改名に至りました。というよりも、そうでもしないとこの「じぶん」を生きていくという現実を受け容れられなかったのかもしれません。

コンプレックスと虚栄心

IMG_0908.jpg自意識過剰で女々しい男
常に「自分にまつわること」を意識し過ぎてしまう。また、周囲のちょっとしたことが気になってしまい、過剰に不安・心配になることも多い。背後には幼少期のしつけや家族関係、育った環境などからくる様々なコンプレックスが根深く影響しているのだろうが、それをある程度理解することはできても、変えたり治したりすることはほとんどできない。つまり、諦めて受け容れるしかない。
AGA.jpgAGA治療前の頭部。ピンチ。容姿への執着
自意識過剰であるがゆえに、容姿への執着が強い。いつまでも若く美しくいたい。そんな想いとは裏腹に20代にしてAGA(男性型脱毛症)の兆候…、つまり「ハゲ」始める。これは自意識云々ではなく、残念ながら誰の目にも明らかな事実。しかし運良くAGA治療薬が日本で解禁された直後で、すぐに投薬を始め、医学の進歩に救われて現在はなんとか復活。
認められたい
信号も自販機もないド田舎の山奥で生まれ育ち、小さい頃はその閉ざされたコミュニティでちょっとしたことでも毎回過剰に褒められて育ったため、今だに承認が欲しくてしかたない。そんなもの人や社会に求めても自分が空洞化するだけだと分かっているけど、なかなか強くはなれない。
小心者の虚栄心
高1の頃、進学校の特進クラスであることを鼻にかけつつ、少し派手なナリで過剰にイキがり見栄をはっていたため他校生たちと何度か衝突し、圧倒的な弱さと気の小ささで全敗。これを機に自分がヘタレな人間であることを受け容れ始めるも、気の小ささは今だにさっぱり克服できない。そして、今でもなにかと見栄をはることに精を出す。相当に自尊心の低い人間なのかもしれない。

ビジュアル系とナルシズム

R0015861.jpg高1の冬、思い出の写真。重度の「中二病」発症
中学生の頃はまさに第一次ビジュアル系ブームの全盛期で、その自己陶酔度の高い世界観に完全に魅了される。中2でギターとドラムを始め、中性的なファッションや自己表現を意識し始めるなど、まさしく重度の「中二病」発症。ほどなくしてビジュアル系ブームは衰退し、高校生になる頃には周囲はメロコアやヒップホップ一色になるも、いつまでもその世界観を引きずり、「女々しくて虚栄心の強い時代遅れのビジュアル系男子」というアイデンティティが田舎の狭いコミュニティにおいて確立される。
IMG_0881.jpg中学の文化祭の映像。これは今見ると本当にイタい。鏡を見て「うっとり」する
このビジュアル系への傾倒と「中二病」によってもたらされた最も重い症状は、鏡を見る時間が著しく長くなったということ。鏡だけでなく、停まっている車のガラスや建物の窓など、自分が映るものは何でも覗き込むようになる。高1の頃は自意識過剰の絶頂期。もちろん、今でも手鏡の携帯は欠かせない。この「自分に見入る」時間からは何も生み出されないわけだが、妙に「うっとり」とできるのはなぜだろうか?一見あまりに愚かで滑稽な行為にも思えるし、親にもさんざん指摘されてきたが、実は誰にも迷惑をかけていないし浪費もしていない、それでいて自分が満足できるのだから、これはとてつもない「エコシステム」なのではないかと思う。


起業と堕落

スーツ.jpg「意識の高い」起業
高校卒業後、地元で母方の祖母と二人暮らしをしながらテレアポのアルバイトなどを続けるが、なんとかフリーター生活から抜け出し、新設されて間もない宮城の小さな県立大学に入る。そこは地元高校からの推薦枠で入ってきた優等生の多いマジメな環境で、かなり珍奇に扱われる。それでも、エリートな将来像がなくなった現実を受け容れ、マイノリティな人生を突き進むことを決意。その後、親しかった先輩と二人で就職困難者向けの就労支援サービスを行う企業を設立し、COOとして経営に携わる。起業直後はたしかに変な高揚感があった。取引先の豪華な受付で名前を名乗る瞬間とか、エレベーターが閉まりきるまで頭を下げている瞬間とか(笑)。全く、しょうもうないことだ。当時はまだITベンチャーや若手起業家がずいぶんともてはやされていた頃で、首から携帯を下げ、それなりに細身のスーツでキメてみたりして、今でいえば間違いなく「意識の高い若者(笑)」の筆頭だったと思う。
組織人失格の烙印
制度や社会情勢の追い風もあって会社は現在業界最大手の一角といわれるまでに成長するも、時間やルールを守れない、髪を切りたくない・染め直したくないなどという態度や姿勢を大手企業から転職してきたメンバーに散々指摘されるようになり、共同創業者ながらに会社を追い出される。正直、なかなかショックだった。そもそも、楽しく自由に働ける会社の環境や独自文化をつくることが起業時のテーマだったのだが、経験不足に能力不足で大きく挫折。組織人失格の烙印を押される。

学歴ロンダリングとモラトリアム

社会をメタ視したつもりになって
組織での苦悩や葛藤から逃れた後、俗にいう学歴ロンダリングな大学院やその付属研究所をモラトリムの隠れ蓑に研究活動に没入。もちろん、専門的な領域で独立して働くにはある程度有名な大学の学位とスキルがほしいという打算が多分にあったが、社会の喧騒から切り離されたアカデミズムの解放的でニュートラルな環境はなかなか心地いいものだった。とはいっても、人とは違う視点や立場から社会をメタ視しているような気分になったところで、結局自分は社会の一要素や部位に過ぎないし、アカデミズムの世界にはそれはそれで特有の作法や文化があって慣れるのにも時間がかかった。
IMG_0009.jpg大学院では産業・組織心理学を専攻し、現代社会における若者のワークモチベーションや自律型キャリア開発について研究。特にモチベーション研究においてはロジャーズやマズローを起源とした人間性心理学と自己超越理論に傾倒。カウンセラーの資格もこの頃に取得。
修士号取得後は社会学・コミュニケーション論の教授に師事し、付属研究所の研究員、特任教員として企業や自治体との実証研究などに取り組む。ミードのシンボリック相互作用論などを中心とした社会心理学アプローチをもとに、パブリックリレーションズなどのコミュニケーション論やそれまでの自分の研究分野・成果との統合をはかりながら、個々の自律的成長や多様性を促し、創造的な活動を可能にする新しい対人・組織・社会コミュニケーションのあり方を模索中。